ササクレ屋

シロノワール(概念)

インターネットがあればよかったのか

日記 09:07
◆昨日は外だった。早朝にスマホで天気予報を見て、薄着でも良さそうだと思って、実際あったかかった。概ね晴れていて、そこそこ陽を浴びられたのでご満悦だった。
イソヒヨドリと思われる野鳥を街なかで見かけた。茶色と青のきれいな鳥で、帰ったら名前を調べようと思った。京都のこのへんはめっちゃ内陸部だけど、見た目からしておそらくイソヒヨドリで間違いないと思う。
◆フライパンを買った。テフロン加工がだめになって焦げ付きやすくなってきたからなのだけど、消耗品として何年かおきに買い換えるのに罪悪感のようなものがあって、鉄のフライパンにしたほうがいいのかなと思ったりもする、でもああいうものは料理上手で料理好きな人がこだわって使うもののように思うから、私ごときがおこがましいよなと思って鉄のにするのは止した。
◆ちょっと用があって、医者と受付の女の子以外の人間ともしゃべらないといけなかった。ほんのちょっとの時間でたいした話もしていなくてたぶん何もやらかしてもいないと思うけど、帰り道では一刻も早くおうちに帰ってブロマゼパムぶっこんではよ寝ようとしか思えなかった。誰も悪くない、相手の人ももちろん何も悪いところはないし、それでいうなら私だって悪くはない。私の脳の具合だけが悪い、そういう話だった。

◆りんごジュースおいしい。

◆立派でおいしそうな春キャベツが1個88円だった。嬉しいけど大丈夫なの。毎日キャベツ食べるよ。とりあえず今朝もキャベツとベーコンでスパゲッティ作った。多めの油でしっかり炒めて作る土井先生のキャベツのお味噌汁も気に入ったし、めんつゆ飲むよりお味噌汁のほうがまっとうな人間っぽいと思ったし、お味噌切らしそうになった今回の不安から2パック買ってきた。これで毎日鍋いっぱいのお味噌汁を作っても当分あるだろ。
◆フライパンがかさばったから、キャベツ、お味噌、コーヒー豆とフィルターという、最低限の買いものしかしなかった。まあ頭のおかしいときにまともな買いものができると考えるほうが無理がある。凝固しないでぱぱっと買ってさっさと帰ってきたのでむしろよくやったほうだと思う。
◆帰って薬飲んで少しゲームして、ゲームで使ってたカードの台詞で疲れてるなら蜂蜜入りホットミルクというようなフレーズが執拗に出てくるので、ずっと聞いてたらそのうち蜂蜜入りホットミルクがおれにも必要なのかもしれないという気持ちになった。疲れてるのかなとも思ったけどたぶん違う。豆乳しかなかったから蜂蜜入りホット豆乳を飲んだ。なんかものすごい満足感があった。蜂蜜…栄養……
◆それでちょっと寝て、VAAM飲んでたからかしばらくして起きて、VAAM飲んでるとやっぱりいつも寝ても復活するなとは思ったけど夜だしもう本気で寝ようと思った。まあまだ19時とかそんなんだったけど。それで早寝して、夜中の2時くらいに起きて、今に至るわけです。ていうかこれは昨日の日記だったな…… まあなんでもどうでもいいけど

◆目が醒めたら頭が痛かったけどロキソニン飲んだので大丈夫。しばらくなかったのに、最近また時々頭痛するよね。毎回、ちょっと様子を見ようこれは薬飲むほどではないのではという逡巡を経て、結局薬飲まなかった間だけがしんどくて飲んだらほぼ治るし様子見る意味とかないなと毎回思って学習能力が低いので、今回は起きてすぐ飲んだ。かしこかった。たまにかしこい。いつもかしこいといいのに。
◆脳の具合はぼちぼちで、陽を浴びたらセロトニンとか作っちゃって多幸感に包まれたりとかいう特典が付くんじゃないのかとちょっと納得行かないところもあったのだけど、まあいろいろ考えて、結局これが分相応で因果応報なのだろうという結論(暫定)にいたった。本日の脳の具合について考えるのに来し方遥かまで振り返りすぎだろと思った。でもさ、もう何度も書いてるけどいつも思うんよね、もし何度やり直せたとしてもたぶん私は同じように間違うだろうと。
◆多少仕事が違ったとしても、人付き合いの相手が変わっていたとしても、たぶん似たり寄ったりの道の踏み外し方をして、ゲーム的に言うならトゥルーエンドのほうには行かないのが私という人間だと思う。根拠は、これも何度も言ってることで、間違った挙げ句こんなところにいるわけだけど、常にそのときそのときでは最善と思う道を選び取ってきたことを覚えているからだ。今にして思えば明らかに間違っているんだけども、そのときの自分の持っていた情報からすれば、妥当というべき選択肢にしか進んでいないんだよね。その私の持っていた情報の質と量の筋の悪さは、言葉があれだけど育ちが悪いとか教養がないということなんだと思う。
◆例えば無知だったといえることがあったとして、無知に罪はないとは思わなくて、むしろ私は無知は罪だろと思ってるフシがある。だから教養がないことも許しがたいと思うけど、じゃあどうにかできたかというと、しかたなかったよなだって教養がないと教養がないことが自覚できないんだもんな、とも思うの。

◆ただ、もしインターネットがある時代だったら、それだけは決定的に選択肢を変える要素になりえたかもしれないとは思った。今日突然思った。わかんないけど。インターネッツも観測範囲を決める要素が自分のそれまでの環境とかに由来するというか、なんでもあるけどフィルタリングは各自じゃないすか。あと18歳くらいまでは無駄に創作意欲的なものがあった者なので、すごい黒歴史的なものを全世界に向けて開陳していた可能性は捨てがたい。いや18くらいにもなればそう下手くそな絵とかは描いてなかったと思うんだけど…15歳くらいまでがやばい。いややっぱり全体的にめっちゃやばい。絶対なんかやらかしてる。よかった、当時インターネットなくて。
◆でもまあ、自分には自分で思っていたよりも全然教養がないんだなと若いうちに自覚するくらいのことは、もしかするとできたかもしれないとやっぱりちょっと思う。育ってきた環境やらリアルの人間関係を捨て去って変えるということはかなり難しいけど、クリックだけで知らなかったことを知れるというのは、機会が潤沢であるということで、インターネットだったらもしかしたら、と思う。人によっては書籍で同じことができるのかもしれないけど、どんなに量を読んだって、読みたい本しか読まない以上はたいして私には変えられなかっただろうし実際変わらなかった(むしろ道を踏み外す方向に補強した)。
◆まあここまでインターネットに思い入れが強いのは、今の私が本来送るべき人生をインターネット上で済ませ、インターネット上に構築した何かに肩代わりさせているようなところがあるからかもしれない。何にせよ、もし生きてきた時代が違ったらみたいなのは与太話で何を言ってもたいして意味はない。元はといえば頭痛がしたという、ただそれだけの話なんだった。
◆洗濯機に呼ばれた。